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Chapter 305



(……? 暗い。長い時間眠った後みたいに、頭もぼんやりする。私、眠っちゃったんだっけ? ええと、マリガンの婆さんに買い出しを頼まれて、仕方なく行って来て…… 孤児院に帰ってきたら、リーアが料理を並べていて…… ううん、昼飯を食べてからの記憶が曖昧だ。まさか、飯食ってそのまま寝ちゃったとか? いやいや、いくら私でもそこまでズボラじゃないよ。リーアじゃあるまいし。でも、ホントに思い出せないな……)

重い瞼に力を篭め、徐々に開こうとする。眩しくはない。カーテンを閉めた部屋の中にいるような、そんな薄暗さだ。

(ここは……? っていうか、揺れてる?)

意識を覚醒させ、目覚めたのはシスター・アトラ。今も『守護者』セルジュ・フロアに抱えられ、連れ去られる真っ最中な彼女である。

「……どこだここ!?」

アトラ、渾身の魂の叫び。目まぐるしく変わりゆく風景に混乱してしまっている。自身が風になったかの如く移動しているのだから、無理もない。起きたばかりのアトラは困惑するばかりであるが、不意に可憐な声がすぐ近くから聞こえてきた。

「あ、おはよー。起こしちゃったかな? 揺れるもんねー」

「アンタ誰!?」

「あはは、元気そうで何より。メルフィーナの治癒魔法は上手くいったみたいだね。良きかな良きかな」

見たこともない黒髪の少女はころころと笑う。同性であっても見惚れそうな笑顔であったが、アトラに問いに答えはない。そんなセルジュの態度は、年頃的に反抗期真っ盛りなアトラの癇に障ったようだ。

「離せ、離せよっ! 誰が私を抱えていいと許可したよ!?」

「はいはい、暴れないの。モンスターに襲われちゃうよー」

「私なんか誘拐しても、貧乏な孤児院から金なんか出ねーぞ!」

アトラは全身を動かしながら抜け出そうとする。が、抱えるセルジュは微動だにせず、ガッチリとホールドされたままであった。どうも彼女の細腕からは信じられないほどの力を宿しているようで、いくら身動ぎしようともアトラの息が荒くなるだけだった。

「ぜぇ、ぜぇ…… お前、ホントに何者だよ……」

「私? んー、別に名乗ってもいいんだけど、誰も信じてくれないからなー」

「いいから教えろ。何て呼べばいいのか分からないだろ、って危なっ!」

セルジュが何やら腕を振るったのだが、アトラには上手く認識できなかった。言ってしまえば通り道にいたモンスターを弾き飛ばしただけである。

「しょうがないなぁ。私の名前はセルジュ・フロアだよ」

「……は?」

「だから、セルジュ・フロアだって」

「お前さ、偽名を使うにしたってもう少し考えろよ。セルジュって言ったら、大昔の勇者じゃん。教養のない私だって知ってるよ」

可哀想な人を見るような目で、アトラに見られるセルジュ。そこには同情や哀れみといった感情も含まれている。しかし、セルジュもそういった反応には慣れているようで、あははと笑うばかりであった。

「ですよねー。まあ、フーちゃん、もしくはせっちゃんって呼んでね」

セルジュは何気なく聖剣を抜き、走りながら勇者っぽくポーズを決める。サービス精神旺盛であるが、アトラのジト目を続く。

―――キィン!

ふと、ポーズを決める為に振り上げた聖剣から甲高い音が鳴り響く。頭上には猛毒を不随する凶剣カーネイジが聖剣と火花を散らしていた。凶剣を振り払ったのは、黒フード状態のアンジェである。

「ギャーッ!?」

不適な笑みを浮かべるアンジェの突然の登場。アトラ、更に錯乱。

「アハッ! そう簡単に不意打ちはさせてくれないか!」

「……暗殺者の奇襲は心臓に悪いなぁ」

台詞とは裏腹に、セルジュの表情に焦りはない。偶然にアンジェの隠密奇襲を防いだことを当然のように受け止めているのだ。しかし、一方で疑問に思うこともあった。いくらセルジュがアトラを抱えた状態で、それもアンジェの方が俊敏だとはいえ、追い付くのが早過ぎるのだ。セルジュはアンジェほどではないにしても、己の敏捷力にそれなりの自信を持っていた。道順の偽装もし、それも『絶対福音』による後ろ盾があっただけに、こんなにも簡単に発見されるとは考えていなかった。

(うわー、世界が見違えるよ。でも制御するのがちょっと難しいかも)

察知能力に特化したアンジェといえども、全力で逃走しようとするセルジュを発見することは難しい。せめて視界に入らない限りは、セルジュの幸運によって何らかの阻害が働いてしまうのだ。では、なぜこんなにも早くに発見することができたのか? その答えはケルヴィンの風神脚(ソニックアクセラレート)である。アンジェは補助魔法なしの状態でさえ、敏捷値が5000を大きく上回る。そこに敏捷を2倍にするこの魔法が加われば、正に鬼に金棒。虎に翼。出鱈目なスピードを手に入れたアンジェは、大穴を基本にセルジュが向かうであろう地上へのルートを全て探索した上で、セルジュに追い付き奇襲を仕掛けたのだった。

「驚いたには驚いたけどさ、私と差しで勝負するつもり?」

「まさか~。私はそこまで戦闘狂じゃないよ」

「まあいいさ。何かを護る時こそ、私の本領――― あれ?」

アンジェは急に方向転換し、セルジュと距離を取り出した。

「私の役割は目だよ。視界に収めていれば、守護者を見失うこともないからね。あと、ケルヴィンから伝言。せめて味見させろ、だって」

「もう病気じゃないかな? 病気だよね?」

闇に消えるアンジェを見届けながら、私は!? と、状況をいまいち理解していないアトラが心の中で叫ぶ。2人の想いはもっともである。

「まあ、そう言わずに付き合ってくれんかの?」

「―――!」

進行方向からの衝撃。気配なく放たれた剣翁の一撃を、セルジュは正面から剣戟を受け止める。気迫に押され、失神しそうになるアトラ――― は、この際置いておこう。

「いやあ、そういえば死神は召喚士だったね。ぽくないから、すっかり忘れていたかな」

ケルヴィンの『召喚術』によって、セルジュの眼前に召喚されたジェラールが苦笑する。どこに失踪したのか分からなかったセルジュもアンジェが見ている限りは、意思疎通でパーティ全員に居場所が共有されて筒抜けとなってしまう。となれば、ケルヴィンの魔力圏内に位置する第8層(ここ)は格好の召喚場所となる。

「しかし、ワシの渾身を受け止めるか……! 世界は広いのう!」

「あはは、実際は割ときっついんだけどね」

ギィンと黒剣を払うセルジュは、大きく迂回してジェラールの横を過ぎ去る。崩すのは厄介であるが、戦闘を回避するだけならば容易い。そう判断してのことであるが―――

「来たわね! シュトラ、準備はいいかしら?」

通路のその先、大量のモンスターが殲滅されている大部屋にて、仁王立ちのセラが待ち構えていた。その横にはゲオルギウスに乗るシュトラと、陣形を組み護りを固めるガード達。

「うん、私はいいけど…… あの脇に抱えられているの、孤児院のアトラさんじゃ……?」

「大丈夫よ、ケルヴィンから許可は出てるもの! 世界最強の勇者が善良な少女を護れない筈がない、って!」

「う、うーん、いいのかなぁ?」

疑問を浮かべながらも、信頼するセラの言葉に糸を操作するシュトラ。それに伴いガードが規律正しく動き出し、ガトリング砲をセルジュへと向け始める。

「てー!」

腕を振り払い、ご機嫌な様子で合図を鳴らすはなぜかセラであった。空気を読んだシュトラは、魔弾による無数の飽和攻撃を解き放つ。


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